デイサービス長老大学

高齢者が若者を支える。高齢者と共に未来を創る。逆支援型デイサービス 長老大学 のブログです。


川村命吉さんのこと

デイサービス長老大学では川村命吉さんという方のお話で大盛り上がりすることがあります。


川村命吉さんは大正九年生まれ。

まるで映画俳優のような男前で、みんなの憧れの的だったそうです。

勉強もできて、性格も優しくて、管楽器も上手。

「みんなが大好きじゃった」

「モテモテじゃった」

「ちっと男前じゃった」

地元では知らん人のいない男前だったそうです。

 

命吉さんの男前話が始まると、大正生まれの利用者さん達にスタッフも混ざり盛り上がります。

ふるさと早明浦 (1981年)

ふるさと早明浦 (1981年)

 

 

 『ふるさと早明浦』という早明浦ダム建設で水没した集落の歴史をまとめた本に命吉さんのことが書かれていました。

川村命吉

高知県長岡郡吉野村汗見尋常高等小学校を卒業。

一八才で輜重兵に志願す。

昭和一三年一月十日、香川県善通寺第十一連隊第十一中隊に入隊す。

昭和十四年三月東京自動車学校に命ぜられ入校す。

昭和十七年天皇陛下御前試合があり、馬術選手として輜重兵学校より参加す。

一等賞 騎兵隊長

二等賞 輜重兵隊長

三等賞 川村命吉 賞品を賜る。

昭和十八年五月ビルマに派遣される。

昭和十九年アラカン山脈の戦いに敗れたが、生き残り、ビルマ第一の都市ラングーン本部付きとなり、まもなく、ヘンサダ病院にて二十五才で死亡す。

准尉

勲七等青色桐葉賞

勲八等瑞宝賞

 

みんなの憧れだった命吉さんは一八才で軍隊に志願し、二十五才で戦死しました。
女優さんのように美しい女性と互いに好きあっていたそうですが、結婚はしていませんでした。

 

アラカン山脈の戦いは、大戦中の日本軍の作戦の中でも特に無謀なもののひとつだったそうです。 

www.nhk.or.jp

日本軍はすでに劣勢になっていた戦局を挽回するために国境のアラカン山脈を越えてイギリス軍などの連合国側の拠点インパールの制圧を試みます。中国の背後の支援ルートを断ちインドの独立を促す狙いがありました。
   
しかし補給のない山の中で豪雨や風土病にも見舞われる厳しい条件下で進軍し作戦は失敗しました。大戦中の日本軍の作戦の中でも特に無謀だったものの一つとして知られています。 

 

命吉さんは、苛烈な環境の中で、殺し殺される戦争で亡くなりました。

 

私の暮らす地域では、年に数回、本山町吉野にある忠魂墓地の清掃活動を行っています。

そこには命吉さんの名前も刻まれています。 

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