デイサービス長老大学

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本の紹介『「心の専門家」はいらない』(再掲)

※この記事は、Tumblrで私が書いていた澤本洋介のblog(2012/2/29)の記事に加筆修正し転載したものです。

今日は、小沢牧子さんの『「心の専門家」はいらない』という本をご紹介します。 

 

「心の専門家」はいらない (新書y)

「心の専門家」はいらない (新書y)

 

 

本書で言う「心の専門家」とは、臨床心理士やカウンセラーと呼ばれる方々を意味しています。

臨床心理士については、昨年末に国家資格化への調整がニュースとして報じられました。
47NEWS 臨床心理士を国家資格に 民自、法案提出で調整

著者の小沢牧子さんは日本社会臨床学会運営委員として、一貫して臨床心理士の国家資格化に反対してきた方だそうです。

なぜ臨床心理士の国家資格化に反対なのか?
なぜ「心の専門家」はいらないのか?

 

本書では、その理由として、「カウンセリング」という技法と論理、また「心の専門家」という考え方そのものに問題があると批判しています。

本書の中で何度も繰り返されるのは、あらゆる問題を個人の心の問題へとずらしてしまう危険性です。
それは、傾聴・共感・支持といったカウンセリング技法の中に、このカラクリが組み込まれているからだと言います。

たとえばある女性が「夫を許すことはできません!」と叫んだとする。日常場面であれば「どうしたんです、何があったんですか」と返す人が大部分であろう。一方、「ご主人に対して怒っているんですね」と、感情に焦点を当てて返すのが、カウンセリング的な応じ方である。二つの聞き方は異なっている。前者が妻と夫の関係や事態を視野に入れているのに対し、後者は主として妻本人の内面に目を向ける。

ケアマネージャー講習などで少しだけカウンセリングの技術に触れたことがありますが、そこで感じた「会話のようで、会話でない」というモヤモヤした感覚が言語化され、ドキッとさせられました。

「内容の再陳述」「感情の明確化」などと呼ばれるカウンセリング独特の言語行為の積み重ねは、問題設定を置き換え、話題はクライエントの主体のあり方へと向かっていってしまう。

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小沢さんは、こうした技法が、制度として教育や産業などの現場に組み込まれることによって「社会や制度の問題が個人の心の問題へずらされる」ことの問題や、「社会に合わせるように個人を変えようという思想」への危険性も繰り返し述べています。

心理臨床家の資格の制度化が実現するとしたら、それは、社会の秩序を脅かしかねない人びとをソフトに管理していくスペシャリストとして、国家が(心理臨床家)を認知したことを意味する。 

たしかに組織に雇用される専門職という立ち位置と、カウンセリング技法が組み合わさった場合、組織の問題を個人の心の問題へすり替えて押し付けてしまう危険性はありうるだろうと思います。

ですが、私は本書を読んでも、それでも「心の専門家」は必要だろう思っています。

たしかに、多くの問題や危険性があるとことはわかりましたが、それでもソレを、「苦肉の策」としてでも必要としている状況はあると感じているからです。

最近読んだ、『人を助けるすんごい仕組み――ボランティア経験のない僕が、日本最大級の支援組織をどうつくったのか』という本に、「方法とは、ある特定の状況のもとで、ある目的を達成するための手段である」という原理が紹介されていました。(この本もとても面白いのでオススメです。)

カウンセリングも専門職の資格化も、方法のひとつならば、それは状況と目的から考えたいところです。本書ではそれがとても曖昧に思えました。状況の例として、虐待や不登校や介護の場面をあげてはいますが、調査に基づくものではなく、報告からの想像と経験からの印象がほとんどです。

子どもが殺された報道を見聞きするのはたしかにつらいが、でもなぜ逃げなかったのかと考え、親を好きに思うときもあったのだろうと想像する。

本書は状況への考察がほとんどないままに、方法への批判を繰り返しているので、その主張に説得力は感じられませんでした。

カウンセリング技術は多くの問題を抱えていますが、たしかに強力な作用があるようで、それは小沢さんご自身も体験しておられます。

その心理学者は、当時カウンセリングの主流を占めていたC・ロジャースの非支持療法の手法にもとずいて、初心者研究生であるわたしの悩みを静かに聴き、わたしの言葉と感情を鏡に映しだすように明確化しながら、わたしに返しつづけた。するとわたしはみるみるうちに自分の回答を見いだして、一時間ののちには「よくわかりました」と納得した。なんだか魔法にかかったように、答えを探り当てたのだった。 

その強力な作用は、たしかに「対等関係を装い、自己決定をみちびき、穏やかに自己責任を追わせていく」ものかもしれません。でも、それを方法として必要とする状況と目的があったならば、いかに副作用を少なくするか、いかに社会の問題解決へ繋げていくかなど、運用面を考えていくべきだろうと思います。

小沢さんは最後に、日常の人間関係と対話のなかで、社会や環境の問題もふくめてじっくりと考えていくことの大切さを述べています。
私も、理想としては賛成です。

先日、隣町の土佐町社会福祉協議会が主催した「傾聴ボランティア講座」に出席してきました。
それはまさに、日常を共に暮らす町民同士の関係で成り立つ仕組みなわけで、私はとても良い取り組みだと思います。傾聴の技術も「うまく話を聞くための心がけ」として学ぶのであれば、メリットのほうが大きいように思います。本書が指摘している問題点も同時に学べればさらに良いかと思いました。

本書の全体を通しての主張には、私は正直賛同できませんでしたが、今までぼんやりと感じていたカウンセリングへの違和感と問題点がクリアになって、読んで良かったと思う一冊でした。現役のカウンセラーさん、カウンセラーになりたい人、カウンセリングを受けたい人、カウンセラーの設置を検討している組織の人には必読の一冊かと思います。

次は、小沢さんと反対に心の専門家の必要性を説いている方の本を読んでみたいです。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

(2016年2月追記)
その後、私達自身が当事者となり、とある組織のカウンセラーのお世話になったのですが、本書が危惧していた通り、問題を私達自身の内面の問題とずらされそうになりました。(カウンセラーさんは無自覚だったと思われます。)
本書の知識のおかげで、組織の問題として適切に対応していただくことを要求できて、問題解決につなげられたと思っています。
公認心理師資格。やっぱりまずいかも。