デイサービス長老大学

高齢者の皆様と共に未来をつくる。デイサービス 長老大学 のブログです。


高齢者による差別。「思想は時代を越えない」という諦念と自戒

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内村鑑三 - Wikipediaより)

 

高齢者による差別発言についてのニュースが続いています。

茨城県では、71才の教育委員が、出生前診断により「障害児を減らしていける方向に」と発言しました。批判を受け、後に発言を撤回し、委員を辞職しました。

長谷川氏は「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」「茨城県では減らしていける方向になったらいい」などとした。

 

岐阜県では74才の県議会議員が「同性愛は異常」とやじを飛ばしました。
こちらも批判を受け、後に発言を撤回しました。議員辞職はしていません。

藤墳氏は閉会後、「ふだんからの自分の思いを話した。少子化は問題と言いながら、子どもが生まれない同性婚を容認している社会が異常という意味だった。同性愛は個人の自由だ」と話した。

 

デイサービス長老大学では、「高齢者が尊敬され、長寿を心から喜べる社会をつくる」ことをミッションのひとつとして掲げています。

高齢者が「人の役に立つ充実感」を実感できるデイサービスをつくる
高齢者と共に世の中に新しい価値をつくる
高齢者が尊敬され、長寿を心から喜べる社会をつくる

デイサービス長老大学が目指すもの - デイサービス長老大学のブログ

 

しかし、もちろんですが、高齢者の意見の全て尊敬し肯定すべきと考えているわけではありません。

特に、社会的地位のある委員や政治家の偏見や差別発言には影響力がありますので、批判し、退陣を求めることも大切だと思っています。

 

私は、高齢者による差別発言報道を見るたびに、障害者ワークホームの運営に関わっていた母から教わった「思想は時代を越えない」という言葉を思い出します。


母は、大学で障害者福祉を学ぶ中で、「過去の偉人と呼ばれるような優れた思想家であっても、障害者に対して差別的な言動を残している例」を学び、「思想は時代を越えない」ということと教わったそうです。


一例をあげれば、非戦論で知られるキリスト教思想家の内村鑑三はアメリカの障害児施設で看護人として働いていた頃の自身の経験について、今の感覚からは酷すぎて、ブログ炎上どころではない程の表現を記しています。

「読者よ、一個の大和男子、殊に生来あまり外国人と快らざる日本青年が直に化して米国白痴院看護人と成りしを想像せよ、彼は朝夕是等下劣の米国人の糞尿の世話迄命ぜられたりと察せよ、彼は舌も碌々廻らざる彼国社会の廃棄物に「ジャップ」を以って呼ばれしと知れ、而して彼は院則に依りて、軟弱なる同胞に対する義務に依て、彼の宗教其物に依て、抵抗を全く禁止されしを想ひ見よ、余は自身も白痴にあらざる呼を疑ひたり、余は狂気せしが故に酔興にもかくのごとき業を選みしかと疑へり。」
(太字引用者)

内村鑑三『流鼠録』から障害者介護を考えてみる - 西の人

「一はクレーランス某なり、唖なり、歳十六にして其智覚は五歳の小児に及ばず、彼の感覚は甚だ鈍なり、唯一感能の鋭敏傍人を驚かすあり、すなわち彼の食欲なり、腹満ちて彼の顔貌常に喜樂あり、飯鐘響き渡りて人の食堂に向ふを見るや痴鈍なる彼に敏捷制すべからざるあり、彼は真正の製糞機械たるに過ぎず、彼を制するの道単に彼の職を減ずるにあるのみ。

(太字引用者)

内村鑑三『流鼠録』から障害者介護を考えてみる - 西の人

現代の人権感覚からすると、問題のある記述も多い。しかし、内村がこれを記述した時代において、まだ日本人の中で障害者の人権感覚の確立がなされていないことを考える必要があろう。 その上で感じられるのは、内村が施設で初めて障害児童に直に触れたときの心の動きが素直に現れていることを感じるのである。露骨な描写の行間から、彼が記すことのなかった心の動きも推測できるように思える。それは、驚きではないだろうか。
(太字引用者)

内村鑑三『流鼠録』から障害者介護を考えてみる - 西の人

まるで匿名掲示板2ちゃんねるのような表現に戸惑いますが、今から100年以上前に書かれた文章です。あの内村鑑三でさえも、その時代の人権感覚を越えることはできなかったと言えるのかもしれません。しかし内村鑑三はその後の日本の障害者福祉の発展に大きく影響を与えたと言われています。

 

デイサービス長老大学でも、聞き書きをする中で、優しくて穏やかな利用者さんからぎょっとするような差別的発言を聞いて、戸惑うことがあります。

私は、戸惑いながらも、その方の生きた時代の人権感覚を知ることには、意味があると思っています。

 

今現在、外国人や障害者やLGBTへの差別意識を持つ高齢者は少なくないでしょう。
きっと、私自身も、後の世の人達から強く批判されるような偏見や差別意識を今持っていて、それに気づくことないまま年を取るのかもしれません。

 

「思想は時代を越えない」という諦念と自戒を意識し、「老害」という言葉に代表される安易なエイジズム(高齢者憎悪)に流されず、高齢者から学び、時に批判し、若者に教え、若者からの批判を真摯に受けとめながら、共により時代を紡いでいきたい。

 

というわけで、岐阜の藤墳守議員は議員辞職すべきと私は思っています。