(画像は富山県砺波市教育委員会より)
デイサービス長老大学のある高知県本山町は古くから林業が盛んな町です。
トラック輸送が始まる以前、木材は吉野川を流して運ばれていました。
木材を河川を流して輸送することを「流送(りゅうそう)」というそうです。
江戸時代初期には、土佐藩の土佐十宝山のひとつであった白髪山から大量に伐採したヒノキ材を、吉野川を利用(流送)して大坂市場で売り、膨れあがった借金を返済し、土佐藩の窮地を救ったこともありました。
かつて流送人夫として働いていた利用者のTさん(90代男性)から当時のお話をお聞きしましたのでご紹介します。
-流送のお仕事は危なくなかったですか?
危険危険。水しだいよね。
高藪(高知本川)から三縄(徳島)に行くまでに、たいがい1人2人死によった。
丸太に挟まったら終わりよ。ほとんどそれね。
-どうして流送の仕事を始めたんですか?
流送は山師の仕事で一番金がとれたけ。
土方が1円2円の頃に7円8円とっとった。
ワシが一番とったとき12円とっとった。
(土で)汚れないキレイな仕事で。水に潜るけきれいやろ。
ハンテンを着て格好良かった。
道具いうたらワラジとトビ。簡単なもんよ。
川から上がって歩くときは地下足袋はいて格好つけちょった。
-流送の仕事は身が軽くないとできませんね。
そりゃそうよ。
水(泳ぎ)に自信があるのと、身軽じゃないといかん。
材木に当てられて怪我するのが怖いけ。
身の処置を考えちょならいかん。
-川に落ちた時に木に挟まりそうになったらどうするんですか?
潜るのよ。
森(現土佐町)で水泳部やったけ。
-流送の技は先生に教えてもらうんですか?
そうじゃない。
流れてくるの(丸太)に黙って飛び乗って稽古するのよ。
緩やかな淵で稽古したら乗れるけ。見よらんところで乗って稽古する。
乗れるようになってから元締めのところに行って見せるわけよ。
元締めのヨメさんがワシのおばあと同郷で知り合いじゃったけ。
トビのすえかたみれば(上手か下手か)わかる。
流れの乗り方は先輩の後について稽古する。
自分の目方と丸太の目方を覚えちょかんといかん。
丸太が沈んで足首が浸かるぐらいが一番動かしやすい。
前足で方向を決めるのよ。
左先だと右へ回る。これが表。
右先だと左へ回る。これを裏側。
足の入れ替えが難しい。
大きな木は浮くのでトビで動かすしかない。
これができるとプロになれる。
ワシは一週間かかった。
アバ(ロープで囲った簡易的な貯木場)のなかで、自分の乗る木を選ぶのよ。
2本に乗るのは簡単。
-筏は組まないんですか?
流れがある所は筏は組むには及ばん。
親方は木を傷めないため組んだほうが良いというけど筏は遅い。
-大歩危小歩危のような急流も下るんですか?
そりゃそうぜよ。
両側が壁やけ一番しよいわ。簡単な話よ。
けど冬は泳いだら寒いぜよ。凍えるぜよ。
(参考画像 小歩危 吉野川ラフティングのタオアドベンチャーより)
一番難しいのは浅いところで向かい風がうんと吹くとき。
流れにたいして斜めになって横になると一番困る。
動力船があったらえい。
-流送は年中やってるんですか?
夏は鮎漁があるけ筏を組む。
7・8・9月は流せんで、流送してるとオマワリが来て捕まえちょった。
夏は大田口にも観光船が通っちょって、船が通るときはロープで木材を寄せて。
船が通るわずかな間を流すわけよ。難しいんぜよ。
<聞き書きメモ>
土佐の流送人夫は荒くれ者が多かったそうで、ここに書けない破天荒なお話が多く大変おもしろいです。
デイサービス長老大学もいつの間にか男性の利用者さんが半数を越え、アウトローな武勇伝の聞き書きをする機会も増えてきました。(匕首での闘い方など。)
こんな聞き書きには吉田豪さんの本が勉強になります。