こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です。
今日は長老大学看護職員による聞き書きメモをご紹介します。
お餅つきがとても大切な行事であったことが伝わってきます。
Bさん(90代女性・本山町)からの聞き書き
鏡餅は三重ねでこしらえる。
近所の人が来たら鏡餅の餅を一段や二段、三段と人によって違うが、差しあげる。
小さな鏡餅で直径15㎝~20㎝程度のもので、年中の挨拶に餅のやりとりをしていた。
年始のお客に来てくれた人に呑ませてお土産に餅をあげる。
自分たちも近所に行っては呑んで餅をもらって帰った。
お互いにお客をし、餅をあげるものだからあげてもらって結局は交換みたいになる。
炊事場で八つ頭(芋)の生をきれいに洗って、お米一升の上に置く。
周囲には干し柿をおく。これを「かきあげる」という気持ちで行う、おまつりごとのひとつ。
新年、元旦になって拝んだら柿が食べられる。稲を植えるときにもおまつりする。
田んぼでは5月から6月に雑魚、柿(実はないので柿の葉で代用)、米を皿の上において拝む。
拝んでお祭りが済んだらカラスも来るので食べる。
食べずにおいておくこともある。
元旦にすることと言えば「みずむかえ」がある。
昔は水道もないのでかめに水をためていた。
元旦の朝に起きたら米とタイモ(芋)を水が入っているかめの横に青く。
しばらくおいて、3日位にとる。
これは水が枯れないようにという思いを込めたおまつりごと。
新年になって初めてお米をたくことを「炊き始め」と言って炊き始めにはおまつりをしてから炊き始める。
元旦に炊かない人もいるので2日になることもある。
その年に初めて切った木を神棚においておまつりする。
お祭りした木を炊き始めに使う。生木なので燃えにくい。
水と火は生活にとても大切なので一年の初めにお祭りして感謝の気持ちをあらわしていた。
だから水神様には輪っかのしめ縄を飾っていた。
風呂、トイレとか、神棚、お墓に暮れにしめ縄を飾った。
主には水と火のあるところや、倉の道具や、大切なものを置くところに飾った。
オレンジの橙をつけるのは玄関だけ。
新年になってお雑煮を食べたらお餅を下げて氏神様にご挨拶にお宮に行く。
お賽銭を持っていくこともあったが殆どはお餅。
年末にお餅をつくことは欠かせない新年に向けての大切な行事であった。
お年玉は5,6歳の頃、一銭をもらったことがある。
飴玉を2つ買えた。
とても嬉しくて喜んだ思い出。
その頃はウルメイワシを一人一匹は食べられない時代だった。
一人半分だった。
半分と言っても尻尾と頭では喧嘩になるから縦半分に分けていた。
学校は草履で行った。
草履は雨の日泥跳ねが背中まで飛んだ。
学校へ行っても足を洗ってから入った。
泥だらけだから冬でも寒くても洗ってから入った。
6年生で初めてキンツボという靴を買ってもらった。よう忘れん。
全部がゴムで出来ていてなんとも履きづらいものだった。
その頃は一重の着物と草履の子と、スカートと靴の子がいた。
卒業式などの時には袴を着る。
姉の袴姿がとてもきれいな着物を使っていて綺麗だなーと思ったのを覚えている。
鉛筆も貴重なものだったので小さくなったら竹を刺して長くして使った。
半紙も何度も書いたので終いには真っ黒になった。
乾かしては書き、乾かしては書き。
殆どは新聞紙で練習した。
夜はカンテラという明かりで勉強した。
油を入れて明かりを灯すものだった。
あまり明るくないけど、頑張った。
貧しい時代だった。ほんとうに今は幸せ。
家族がいて気にかけてくれる人に囲まれて生きて行けている。
皆のお世話になっている。
とてもありがたいことだと思う。