こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です。
今回はご利用者さんからお聞かせいただいた「大川村の思い出」をご紹介します。
Yさん 土佐郡大川村出身 80代女性
私の生まれは大川の高野というところです。
今は早明浦ダムの底になりました。
高野というところは山ばかりでね、戦争で亡くなった人の忠霊塔がありました。
子どもの頃の思い出は、山と川ばかりですね。
山ではイタドリをとって回りました。
夏は川でゴリをとったり、イダをとったり。ウナギも取りました。
面白かったですよ。
ゴリをエサにして、紐の先に石をくくって、川の岩の下に沈めて。
夕方やっちょったら朝になったら喰い付いてて。
鮎もおりました。
鮎はね、兄が洪水の時に大きな網で、「ニゴリモチ」というのかね。
あれで捕ってました。
吉野川は飲めるくらいにキレイでした。
大川村は上流ですからね。
台風の時は大きな濁流になってましたけど、普段はそんなに大きな川じゃなくて。
そこここにきれいな渕があって、泳いでいました。
家は農家をしていました。
高野には田んぼが無かったです。山の田んぼは(米が)取れませんからね。
雑穀とお茶を作っていました。
ご飯はいつもアワやヒエを食べてました。
お米を混ぜて粘りをだしてね。
半々とはいきませんでした。お米のほうが少なくて。
ヒエが九割ということもありました。
ヒエもよく噛んだら甘みがあっておいしいですよ。
お茶漬けにすると口の中をコロコロと流れてね。
お茶は玉茶をつくっていました。
大川村の特産です。
新芽が出たしたら茶摘みがはじまります。
子どもの頃から手伝っていました。
玉茶というのは大きな釜で煎るんです。三叉を蒸すくらいの大きな釜。
斜めに釜を据えて、周りは赤土で固めていました。
斜めに据えた釜の中で茶葉が上へ下へと。
竈(くど)に薪をくべて釜が赤くなるまで熱してからお茶の葉を入れて、一番炒り。
パリパリと音がします。
綿の手袋をして、さっささっさと一生懸命焦がさないように混ぜてました。
むしろに移して揉み、棒状にして二番炒り。
三番炒りは手の形をしたシャモジをつかっていました。
玉茶を淹れる時は、いちど沸騰させたお湯に茶葉を入れて沸かさずに。
しばらく時間をおいて注ぐと黄色いお茶が出てとても美味しいですよ。
戦争から兄が帰ってきて、しばらくしてから土佐町の伊勢川に田んぼを買いました。
田井まではバスが出ていましたが、そこから歩きでした。
牛を引いて行ったこともあります。
高野から伊勢川まで通うのは大変ですからね。
田んぼの横に小屋を立てて泊まり込みました。
はじめて伊勢川の田でお米をつくって。
白いご飯を食べるというのはね、本当に夢のようでしたよ。
Yさんからは、昔の暮らしのご苦労や、楽しかった川遊びのお話をたくさん聞かせていただきました。
今はダムの村のイメージが大きいですが、以前は清流の村だったんですね。
Yさんから美味しい淹れ方を教えていただきながら、玉緑茶もみんなでいただきました。
とてもまろやかで優しい味です。
大川村の「村のえき」で販売しています。
連休中に遊びに行ってみてはいかがでしょうか?