こんにちは、長老大学オンライン支店スタッフのあいかわです!
今回は、笑ったお顔が本当にひまわりのように明るい、Kさんにお話を聴かせていただきました。Kさんは、玉緑茶という、希少なお茶のつくり方のお話をしてくださいました。Kさんとは数ヶ月前に一度聞き書きをさせていただいており、今回は二度目の機会でした。
玉緑茶というのは、全国でもあまり生産されていない、とても貴重なものだそうです。(こちらのサイト、『でぃぐ!大川村』様にとてもわかりやすく玉緑茶のことが紹介されています)
「Kさんは、玉緑茶というお茶をつくられていたんですよね」とお話しすると、「ええ、ええ」とKさんは大きくうなずかれ、お茶づくりの話を始めてくださいました。
──茶っぱは新茶じゃなきゃだめ。生の葉の芽が出ているのを、上のやわらかいところを採って、採ったものはいれものに入れて持って帰って、こういうふうになった、鉄の大きな釜に入れるの。
Kさんは、画面の下にあった、おそらくマイクかスピーカーを何度もななめに傾けて、その鉄釜の向きをわたしに伝えようとされました。身振り手振りを交えて、そのころの記憶を語ってくださいます。「Kさんの身体よりも釜は大きいんですか?」とお聞きすると、「ええ、ええ。それはもう大きいですよ」と笑ってくださいました。
Kさんのなかでは、玉緑茶の特徴ともいえる、茶葉を釜で炒るという作業が特に印象に残っているようで、炒る作業のことを何度も一生懸命伝えてくださいました。玉緑茶づくりは家族ぐるみでやっていたとのことで、お父様が炒る作業をしていたそうです。
──火を炊くところがあり、その下に薪を置いて、周りは赤土で固めて(?)、鉄の釜を置いて、そこに茶っぱを入れて、ぱりぱりというくらい、音が出るまで炒るんです。煙がつくくらい炒って、茶葉がぽろぽろっとなるくらい。
茶葉を炒る時間は、そのときそのときの、摘んだ葉の状態をみてお父さんが決めていたといいます。いちばん大変な作業だということで、「じっと見ていなきゃいけないんですね」とわたしが言うと、「いや、じいっとただ見ていたらだめなの」と教えてくれました。
──仕上がるまでに焦がさないように炒らなければいけないんです。一番炒り、二番炒り、三番炒りとやっていく。一回目は焦がさないようにやって、それを揉んで、また火にかける。焦がさないように、ずっと。絶対焦がしちゃいけないの。葉っぱが壊れる(焦がれる?)ようにはしないの。
その真剣な口調に、子どものころからやってきた作業に対する想いがよく表れてみえるのではないかと思いました。
しかし、火をつかう作業ということで、やけどをされたこともあるのではないかなと思い、お聞きしたことがきっかけで、わたしが思い描いていたよりも、玉緑茶づくりがもっと大変であるということがわかりました。
──やけどしたことはない。やけどしないように、綿の手袋を両手にして作業するの。手袋をして、炒ったり、茶葉を揉むの。
一度目の聞き書きの際、この話を聞いたわたしは「手袋ですか!」と大きな声を上げてびっくりしてしまいました。「茶っぱも熱いが、お釜がとても熱くてやけどしてしまうので、手袋をしていた」のだそうです。
いくら綿の手袋をしてやけどを防ぐことができたとしても、熱いことには変わらないのではないかと思います。
──父親の時代もずうっとそれ(お茶づくり)やってきましたからね。わたしらはそれを見ながら、ずっと(受け継いできた)。(お父さんもお母さんも)できる年齢まではやってきたけど、子どもたち(自分たち)がおるから。
伝統的なお茶づくりをそのようにして代々継承されてきたとのことで、わたしはKさんのご家族はどんなご様子だったのかと思い、「お父さんはやさしい人でしたか?」とお聞きしてみました。Kさんは笑いながら、首をすこし傾げつつ答えてくださいました。
──うーん、まあ、普通ですね、ハハハ。焦がしたらいかんから、やり方をちゃんと教えてくれるから。でもちっちゃい子はだめですよ。手袋しよってもね、ちっちゃい子はとてもとてもできない。兄弟は、一番上は男の子で。二、三、四、五と。わたしは一番下なんです。
お父様をはじめとしたご家族のことを思い出されたようで、Kさんは声を出してよく笑ってみえました。
Kさんの経験されてきた伝統製法の大変さとこだわりに想いを馳せながら、一方で時代が変わり、製法が変わったとしても、おいしいものをつくろうという生産者の方々の想いと努力のおかげで、こうやっておいしいお茶がつくられ、わたしたちはそれを味わうことができるんだなとしみじみ思いました。
お米ひとつぶとってみても、じつに一万人もの方々の労力があって、わたしたちの食卓に届いているのだと聞いたことがあります。わたしには、お米も、お茶っぱも、なにもつくることはできません。生産者の方をはじめとしたいろいろな職業、地域の人びとのおかげで、おいしいものを戴けているのだと改めて感じるよい機会になりました。
・人生を聴くということ
じつは、最初に書かせていただきましたが、Kさんとは数ヶ月前に一度聞き書きをさせていただいており、今回は二度目のお話でした。Kさんはそのときも、玉緑茶の話をしてくださいましたが、そのときと比べ、Kさんは、物忘れの症状がもしかしたらすこしすすんでみえるのかもしれない、とわたしは感じました。
けれども、それ以上にわたしの胸を揺さぶったのは、二度目だからこそ感じられた、Kさんの玉緑茶に対する思い入れの強さでした。おそらく窓の外に生えている植物を見ながら、「あれくらいの、生の葉っぱをね」と何度も一生懸命わたしに説明して下さろうとするKさんを見て、きっと本当に、Kさんはずっと、お茶っぱを採っては炒り、採っては炒り、ということを子どものころから経験されてきたのだと思い、わたしは胸がいっぱいになりました。
わたしは、高齢者の方のお話を聴くのがとてもすきです。認知症の方(この表現では、「人」というより認知症という「病」のほうが強調されてしまうような気がして、あまり使用したくはないのですが)は、何度も同じお話を繰り返されることがありますが、わたしはそういったお話を聴くこともまた、とてもすきです。その繰り返されるお話というのは、その方の人生のなかでひときわ強く、鮮明に残る記憶であるのではないかと個人的に思っています。楽しさ、うれしさ、しあわせという感情、或いはかなしみ、くるしみ、つらいという感情。そういった様々な感情を伴うたいせつな思い出の一端を何度も聴かせていただけることで、その方の人生に想いを馳せ、一緒に追体験し、その方の人柄にすこしでもふれられるような気がするからです。そのなかで見られる笑顔には本当にうれしい気持ちになりますし、つらそうな表情を見ると、過去は変えられないけれども、いま、この方のために自分ができることをさせていただきたいと強く思います。
わたしは大学時代、地域研究のゼミに所属し、聞き書き調査を通して勉強していました。より多く、詳しく、正しく、なにかしらの知識や経験談をインフォーマントから得ることを目的とするような、学術的な(?)聞き書きとはまたすこしちがうのかもしれませんが、ケアの手段、もっというと、相手の方と信頼関係を形成したいと思って行なうコミュニケーションの手段としての聞き書きでは、同じ話の繰り返しであっても、その話を聴けることそれそのもの自体が、貴重で、たいせつなことのような気がします。(文字にしてみると、至極当たり前のことだなあと思いますが)
それに、同じお話であっても、反応や質問を変えてみたり、深堀しながら聞き書きを進めていくと、前回や、つい先ほどまで、ご本人が思い出されずお話しされていなかったようなことでも、すこしずつ記憶の扉が開かれていき、新しいエピソードが出てくることがあります。「すこしでも、なにかしらの刺激になれたのだろうか」という、そういう瞬間のよろこびは、本当になにものにも代えがたいです。
また、お話しされたことの内容が、例え、客観的事実から見れば多少ちがっていたり、思い込みや勘違いなどが入っていたとしても、むしろそれは、その方のナマの想いというか、その方の眼と思考で見てきた世界をそのまま聴けているということだと思うので、聴けてよかったなあと個人的にはすごく思います。(知識的な意味で記録に残す際は、聞き手の責任として、注釈等が必要になるかとは思います。そして、つまりそれは、そこに気づくことができるだけの聞き手の力量が必要ということなので、わたし自身まだまだ力が足りず、勉強の日々だなと思います)
最後に、余談なのですが、一回目にKさんにお話をお聴きしてから、どうしても伝統製法でつくられた玉緑茶が飲んでみたくなり、探してみたところ、高知県で一軒だけインターネット通販をなさっているところがあり、取り寄せて飲むことができました。
──玉緑茶というのは、葉が、まんまるではないけれど、(勾玉のような)玉のかたちになるから玉緑茶というんです。
一度目の際、Kさんが教えてくださったように、茶葉の形が本当に勾玉のようで、玉緑茶という名前がよくわかりました。
鉄釜で炒られたことによってなのか、烏龍茶にも近いような、本当に豊かで独特の風味が鼻から抜け、かといって飲みにくさなどはまったくなく、とってもおいしいです。緑茶も烏龍茶もどちらも好きなので、わたしにとっては最高のお茶体験でした……!
今回の聞き書きで、Kさんに画面上でその玉緑茶のパッケージをお見せしてお礼をお伝えしたところ、笑顔が見られてとてもうれしかったです。
今回、「できることだけやってきました」という、控えめに謙遜しながら何度も仰っていたKさんのお人柄に、わたしはとてもあたたかい気持ちにならせていただくことができました。素敵なお話とおいしいお茶を教えてくださいましたKさん、本当にありがとうございました!