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焼畑農業~伝統的農法から学ぶ~

 こんにちは、長老大学オンライン支店スタッフのあいかわです!

 最近雨が多いなあと思っていたら、利用者様から二十四節気の「穀雨」について教えていただきました。四季に関する日本古来の表現のうつくしさは、本当に素敵だなと思います。
 今回は、T様に聞き書きをさせていただきました。T様とは初めてお会いしたのですが、わたしの質問に対して、ひとつひとつ丁寧にしっかりとした口調で答えてくださり、本当にすごいなと思いました。T様は山ぐらしでずっと農業をしてこられたとのことで、今回はとくに、焼畑農業とミツマタについてのお話を紹介したいと思います。

焼畑農業について

T様:焼畑は、アサギ(雑木)があるところを、全体の木を切って、それから焼くんです。火は、上から、順に点けて。いっぺんに焼いたらこわいから、じわじわと焼きよるんですよ。
わたし:木を切る作業というのは、男の人が主にやるんですか?
T様:みんなでやるんです、わたしらもいて。手鎌で切ったり、鋸(のこ)を持って切りました。作業は4、5人でやりました。家族です。でもミツマタをやったりするときには、人を雇うてもやりました。


 焼畑農業というのは、伝統的な農法の一種だそうです。(野焼きとはちがうものだとのことです)

ボランティアプラットフォーム(n.d)『焼畑農業』

https://volunteer-platform.org/words/international-organizations/slach-and-burn-agriculture/#:~:text=%E7%84%BC%E7%95%91%E8%BE%B2%E6%A5%AD%E3%81%A8%E3%81%AF%E3%80%81%E4%BD%9C%E7%89%A9,%E4%BD%8E%E4%B8%8B%E3%81%99%E3%82%8B%E3%81%A8%E7%A7%BB%E5%8B%95%E3%81%97%E3%81%BE%E3%81%99%E3%80%82(2022/04/28)

ミツマタについて

 T様が育てていたミツマタというのは、和紙や紙幣などの原材料になる植物だといいます。黄色い花が咲く低木だそうです。

 

T様:ミツマタというのは、紙にする原料です。ミツマタは木です。皮を剥いで、使うようにするんです。甑(こしき)いうて、大きい釜があってね。それで蒸すんです。(甑に)木で蓋をして、下で火を炊いて、それで蒸すんです。
 ミツマタは、あんまり大きゅうはないんですけんど。ジャッキン(?)で縛って、蒸すんです。蒸したら皮はやわらかくなるんです。そしたらそれを、黒い皮をのけて、干すんです。乾かして、乾燥させて売るようにして。

わたし:どういう方に売ってたんですか?

T様:農協にも売ったことあるし、個人相手にも売ったことあります。売るのは、束にして、五貫目に目方をして、売るんです。
 ミツマタの仕事は、最近はしてないけんど、だいぶ長いことしました。嫁ぐ前にもしました。だいぶ、長年やってきました。

わたし:ミツマタは高く売れるんですか?

T様:いやあ、そんなに高いということもないけんど。まあそれでも、あったらお金になるんで、やりました。


 さらに、焼畑農業についてわたしが疑問に感じたことを質問させていただいたところ、より詳しくお話を伺うことができました。

 

わたし:焼畑では、焼いた火というのは、勝手に消えるんですか?それとも、消して回るんでしょうか?

T様:燃えてる火は、自然に消えるように焼くんです。(火事にならないように)絶対気をつけてやりました。火が外に出て、周囲に燃えていかんように、焼く前には、ちゃんと火道(ひみち)というのをして。外に燃えていかんように。火道いうて、そこの周囲を、燃えるものがないように掃除してしまうんです。外へ燃え出て、火事にならんように。火事になったことはないけんど。


 火道という言葉をわたしは初めて聞きましたが、焼畑農業を行なう上でなくてはならない作業なのだと理解できました。下記、火道について紹介されているサイト様があります。
SAVE JAPAN プロジェクト2021-2022(n.d)『Action! Nature ボランティア』(https://savejapan-pj.net/sj2021/okayama/report/action_nature_1.html)(2022/04/28)
 

わたし:焼畑は、Tさんのおうちが持っている山でやっていたんですか?

T様:そうです。父の山があるところでしました。いまはもう植林にして、ミツマタを植えるところはもうないです。木を植えてしもうて。
 ミツマタが終わってしもうたら、木を植えるんです。一回ミツマタをつくって、切って、そうするとメゴ(芽子?)が出ます。ミツマタの子ができます、切った株から。それをまた、3、4年したら同じように切って、また蒸すんです。それが終わったら、植林にしました。ヒノキからスギから(植えて)。ミツマタをやるときは、人を雇うてすることもありました。近くの人を雇うてしました。
 植林は、苗を買うてやりました。ミツマタが2回終わって済んだら、植林するんです。木は、大きゅうなったらあまり手入れせんでええので。

わたし:焼畑をしていた畑の面積はどれくらいでしたか?

T様:どのくらいということもないけんど、木の植わっていないところ、植林のしていないところでしてました。木を植えたら、下刈りもせなならんのです。手入れを。草に負けたら木が太らんので、木が負けんように手入れをするんです。


 現在、焼畑農業というと、とくに海外では耕作地の放棄による砂漠化など諸問題になっているそうです。しかし、T様のお話では、耕作を終えたらまた木を植えるという、持続可能な農法として行なわれていたようでした。


 大規模に焼畑を行なうことによる煙害や、火事の危険性などは確かにあり得るかもしれませんが、T様たちのように、小規模かつ火事に対しての対策をきちんととり、自分たちで植林までを行なって、自然のめぐみを必要な分だけ戴き、自然と共生していくというやり方からは、いま一度学べる点が多々あるのではないかと個人的には感じました。

 SDGsを進めていこうという昨今の世界において持続可能な農法を考えるうえでも、日本で行なわれてきた伝統的な焼畑農業について知るうえでも、T様のお話はとても貴重な記憶だと思います。

 T様、貴重なお話を聴かせていただきまして、本当にありがとうございました!

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