こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です。
今回は、私の母の友人のお母様(90代)が戦時中に疎開先で独りで出産されたという壮絶なご経験をご紹介します。
昭和20年の夏。 終戦のちょっと前。
2番めの娘を産んだときのことです。
戦争で田舎に疎開していたから。
村に産婆さんはおられたけど、お産に間に合わなくて。
陣痛が来て、お母さんが産婆さんを呼びに行ってくれたけど、
近くの産婆さんじゃなくて、遠くの知ってる産婆さんを呼びに行ったみたいで。
田舎だからね。阪神阪急があって、それよりまだ上の山の中だからね。
車も無かったから。
産婆さんはまだ来てないのに、頭は出てくるし(笑)
-大変じゃないですか 周りにお手伝いしてくれる人は居たんですか?
村の人が居ました。
5,6人近所のおばさんが来てくれたけど、「わたし怖いわ」「ようせんわ」って取り巻いて見てるだけ(笑)
そらま、そうだけだろうどね(笑)
辛抱しててもしょうがないと思って。
頭がちょっと出てきたから自分で引っ張り出して。
あの感触は未だに忘れられないわ。
赤ん坊の頭を片手でピョっと引っ張ったらだんだん出てきて、最後はプチュっと出て。
柔らかかったわ。頭が。
-すごいご経験ですね。産声は聞こえました?
どうやったろう、覚えてない。必死だったから。
生きてるということは泣いてたんでしょうね。
-へその緒はどうされたんですか?
それは産婆さんが来るのを待って切ってもらったの。
-産婆さんはすぐに来てくれたんですか?
覚えてないけど、たぶんそんなには待たなかったと思う。
必死だったからほとんど覚えてない。
生きていられて運が良かった。
きっと安産だったんでしょうね。
ただでさえ出産で命を落とす妊婦さんや赤ちゃんが今よりもずっと多かった時代です。
疎開先で、助産師さんも来ていない状況でお産するのはとても不安で怖かっただったろうと思います。
壮絶なご経験を、穏やかに、ユーモアを交えてお話されるご様子に、感動しました。
貴重なご経験をお話くださり、ありがとうございました。
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