こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です
今日は介護関係者の間では大きく賛否の別れた「注文を間違える料理店」についてご紹介します。
「注文を間違える料理店」とは、認知症の方がホールスタッフとして働くレストラン。
NHKディレクターの小国士朗さんが企画した期間限定のレストランイベントです。
コンセプトは「間違いを受け入れて、間違えることをむしろ楽しんじゃおうよ」というものです。
そもそも「注文をまちがえる料理店」ってなんだよ、というところからお話したいのですが、これは一言でいうと「注文を取るスタッフが、みんな“認知症”のレストラン」です。認知症の人が注文を取りにくるから、ひょっとしたら注文を間違えちゃうかもしれない。だから、あなたが頼んだ料理が来るかどうかはわかりません。でも、そんな間違いを受け入れて、間違えることをむしろ楽しんじゃおうよ、というのがこの料理店のコンセプトです。
社会の側へアプローチする意義
認知症という病気の「難しいところ」は、周囲との関係性の変化から生じることが多いです。
認知症ケアには、障害者福祉の「障害は社会の側にある・社会を変えよう」という社会モデル的な考え方がとても参考になると考えています。
認知症の周辺症状も、ご本人ではなく、周囲の側の見方が変わり関係性が変わることで改善することは少なくないと思います。
だからこそ認知症ケアは周囲・社会に向けても行われなければいけない。
その意味で、社会の側を揺さぶるような「注文を間違える料理店」は、とても刺激的な試みだと思います。
認知症当事者の尊厳は守られたのか
一方で、「間違えてもいいですよ」と言われる認知症当事者の方の尊厳をどう考えるのか?
認知症のひとたちが働く「注文をまちがえる料理店」のプレオープンに行って来ました(^^)
— 工藤瑞穂(soar編集長) (@mimimizuho) 2017年6月4日
ジュンヤくんはおばあちゃんにハンバーグを注文したんだけど、見事に餃子が来て大笑いしました笑 pic.twitter.com/TshX6wOMml
16万近い「いいね!」の集まったこのツイートをはじめて見たとき、私は戸惑いました。
大笑いされた側の方は、悲しさや恥ずかしさを感じていなかっただろうか?
一緒に大笑いしてたらいいなあ、と。
同じようなことを感じた介護職の方も少なくなかったようです。
これに対して違和感を感じるのは、私だけだろうか?
認知症患者が働く
【注文をまちがえる料理店】
とう言う店名は、認知症患者の方の尊厳を無視してないだろうか?
私もモヤモヤと感じながら、先日発売された書籍『注文をまちがえる料理店』を購入しました。
注文を間違える料理店の本当の凄いと思うところ
この本には、参加された認知症当事者の方とご家族の声、サポートの介護スタッフの声も載せられていました。
「疲れてない?休みをとってもいいんですよ」
と声をかけると、
「これくらいで疲れてどうするの。私、美容師だからね。立ち仕事には慣れてるのよ」
と、こちらが叱られてしまいました。
ヨシ子さんは九州生まれの74歳。
郷里の九州で長年にわたって美容師をされていたことは、ご本人に前々から聞かされていました。腕とセンスを磨こうと、京都や東京に出てくるなど、行動力のある自立した女性だったようです。
都内の有名な結婚式場で、花嫁さんの髪を結う仕事をしていたこともあり、一日に何件もこなしていたのだと、誇らしげに教えてくれました。
「花嫁さんには一生に一度のことでしょう。緊張するし、大変な仕事だけど、とても好きだったの。きれいになったと喜んでもらえることが、私はすごく好きだったのよ」
プライドと誇りをもってお仕事をしてきたのです。
「注文を間違える料理店」のお話をきいたとき、ぱっと思い浮かんだのは、そんなヨシ子さんのお顔でした。
何気なく書かれていますが、これは凄いことだと私は感じました。
注文を間違える料理店のお話を聞いた時に、ぱっと喜びそうな方を思い浮かべることができる。
これは普段の仕事の中で、ご利用者の性格や歴史をよく知り、よくお話を聞いていなければできることではありません。
尊厳のあり方は一人ひとり異なります。同じことに対し、笑う方もいれば悲しむ方もいる。
おそらくこのスタッフさんは、同時にこの企画で傷つきそうな方も思い浮かんだのではないかと想像します。
実行委員会が、ふわふわしたお祭り気分にならず、「〝認知症の状態にある方〟がそこにいる」という緊張感を持てるようにと、和田さんが三川ご夫婦と、ある若年性認知症の家族の会の方をミーティングにお呼びしていたのです
ただ、泰子さんは、その間ほとんど口を開くことはありませんでした。
ここで、僕はどうしても聞いてみたかった質問を泰子さんの夫の一夫さんにぶつけました。
「この〝注文をまちがえる料理店〟について、どう思われますか?」
「間違える可能性を料理店の中に組み込むかどうか」ということを、当事者である泰子さんやそのご家族である一夫さんの前で議論していることに対して、どこか後ろめたさがあって、それで耐えきれず聞いたのだと思います。
すると一夫さんが、困ったなという顔をしてこう答えました。 「〝間違えちゃうかもしれないけど、許してね〟っていうコンセプトはとてもいいと思うんです。でも、妻にとって、間違えるということは、とても、つらいことなんですよね……」
その言葉は僕の胸に、深く深く突き刺さりました。
あぁ、なんて自分はバカだったんだろうと思いました。目の前で少しはにかみながら、僕たちの話を聞いていた泰子さんはどんな気持ちだったのだろう。
「間違えることは、つらいこと」
――そんなのはあたりまえのことじゃないか
介護スタッフリーダーの和田さんが当事者の方を含めて実行委員会を開いたことからも、この企画には「常に当事者と共に」という、介護職としての日々の当たり前が貫かれていることがわかります。
私は、関わった介護スタッフの「日常の業務」こそが、「注文を間違える料理店」の本当の凄さだと私は思いまいました。
それは、介護報酬の削られまくる介護現場では決して当たり前のことではありません。
(長老大学のスタッフも毎日とても頑張ってくれています。感謝です。)
そんなことを感じていた頃に、なんと著者の小国さんが隣町の土佐町へ講演に来てくださいました!
講演を聞き、介護関係者だけでなく、料理に関わるシェフの皆さんはもちろん、広告から資金集めまで、超一流のスタッフが揃って実現したイベントだということもわかりました。
介護スタッフリーダーの和田さんが隣村の大川村ご出身ということにもびっくり。
いつかお話したいです。
本書の中の若年性認知症の史彦さんの言葉がとても印象に残ります。
「社員食堂で働いていた時代は、ほんとうに辛かったよ」
「どうしてですか?」
「間違えると、むちゃくちゃ怒られるからね。お客さんは帰っちゃうし、上司からも怒られるし、『クビだ!』なんてこともあるわけでしょ」
確かに、仕事というのはそういうものです。
どこかビクビクしながら仕事をしていたら、自分が若年性認知症だと診断され、働くことができなくなってしまった。そういうときに、今回の話を聞いたのだと。
「すごく気が楽だったよ。だって間違えていいんだもんね」
レストランで最後にとった休憩時間でも、ぼそっといっていました。
「ここのお客さんは優しいなぁ。間違えても怒らないもんなぁ」
「そうですね」
「こういう所で働けるのは最高だ」
「活躍できてよかった」
と、とても満足そうでした。
「注文をまちがえる料理店」は、認知症という状態によって得られなくなった史彦さんの満足感を、認知症の状態のままで得られることを可能にしてくれた場所でした。
はじめはモヤモヤと感じていた「注文を間違える料理店」でしたが、本を読み、講演を聞き、今はとても幸せなレストランだったのだろう想像しています。
何度も繰り返しになりますが、この企画を支えたのは、介護スタッフの「日常の業務」「日常のパーソン・センタード・ケア」があったからこそだと私は思っています。
きっと「注文を間違える料理店」には厚生労働省の皆さんも注目しているでしょう。
現場の日常業務を支えるお金を、これ以上削らないでくださいね。
コストと思われていることを価値に変えていくという試みは、長老大学のスタート前からビジョンとして掲げてきたことでした。
若いTV局ディレクターに鮮やかに実現されて正直悔しい。
人を巻き込む力、実現する力、見習いたいです。
これから発売予定のメイキングのフォトドキュメンタリーも読んで勉強します。