こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です。
高知のお正月と言えばやはり皿鉢料理!
今日は職員からの聞き書きのメモをご紹介します。
Aさん(80代男性・本山町)からの聞き書き
【皿鉢料理について】
内容はサバの姿寿司、巻き寿司、稲荷寿司(三角に作ったのできつね寿司とも言った)、甘くゆでた栗、粒あんの羊羹、切ったミカン、柿、野菜のてんぷら、サツマイモをつぶして巾着で形を整えたもの、なます。
今どきのチャンバラ貝や派手な赤い羊羹や唐揚げはなかった。
サバの姿寿司は頭の部分は大人の取り合いだった。
七輪で焼いて香ばしくしてお酒と一緒に食べた。
酢でシメてあるので、焼くと香ばしさとお酢が混じっておいしい。
酒のつまみにはちょうど。
皿鉢はお正月以外にも婚礼の時には近所の主婦が集まって作った。
婚礼の時は正月の皿鉢以外に必ず鯛の活け造りがあった。
魚屋に頼んで、必ず1匹はあるようにした。
山間部なので生の魚を食べることはほとんどなかったが、鯛だけは生で出ることがあった。
戦時中以外はたまにぶりの刺身もあったが、裕福な家が食べることがある程度。
カツオは痛みが早いし、刺身で食べるようになったのは最近。
いつも食べるような魚は塩漬けが普通で、真っ白で魚が見えないほど塩をふってあった。
今の握り寿司も入りだしたのは戦後。
それまではサバの四角い押し寿司はあったけど、江戸前にぎりはみたことはない。
戦後も魚屋にりぐって(凝って)注文してにぎりをつくってもらう特別な感じだった。
普通の家庭ではしない。
生の魚のことを「ぶえん」とよんでいた。
多分無塩の事だと思うが、ぶえんぶえんと言っていたのを覚えている。
戦時中に一度魚を食べる機会があったが、塩は魚が見えないほど真っ白にふってあったが、蛆が沸いていて蛆をとりながら食べた記憶がある。
食べれない時期だったからおいしかったよ(笑)
【魚捕りについて】
子どもの頃は川でいろいろなものをとって食べてた。
もちろんうなぎもとってた。
うなぎは今でこそ高級品だけど、昔はそこら中に沢山いたので子どもが取ることが多かったと思う。
もちろん大人もとってたけど、子どもが簡単に取れるのがうなぎ。
釣り付けで置いとけば何匹もついてた。
40~50センチが多かった。
取った後は目をキリで刺して押さえて背を切る背割りにしてた。
七輪で塩を振って焼いて、焼けたら醤油をかけて食べていた。
子どもが自分で焼くことが多かったと思う。
そういえば、うなぎは特別なものではなかったので、皿鉢にはのっているのを見たことがない。
ヤツメウナギもよくとった。
ヤツメウナギは桜が咲くころに川を上るのでそのころにあると大人は堰をつくって上れないようにして横に籠の仕掛けをしてたくさん取っていた。
子どもは砂の中にいるヤツメを砂ごとすくって取ったりしてた。
どっさり取れるので取るのは簡単だった。
でもヤツメはうなぎよりだいぶ小さいから丸ごと焼いて食べていたので骨がガジガジして特別おいしいとは思わなかった。
ヤツメもうなぎと同じで塩を振ってから醤油で食べてた。
中にはりぐって食べてた人もいるかもしれないけど、自分の周りの人は皆醤油で食べてた。
沢蟹や川エビも沢山いたけど、大人から肺ジストマがいるから食べないようにと言われていたので食べてなかった。
肺ジストマはジストマ菌が肺に入って結核みたいになると言われていた。
エビは10センチ程度の大きさで川の中にワサワサいた。
今思うと食べたらおいしかったと思う。
さばの姿寿司の頭の部分、たしかに七輪で炙って食べたらおいしそう。
皆様もぜひ試してみてください。