こんにちは。
デイサービス長老大学 代表の澤本洋介(@sawamoto482)です。
春休みにオンライン支店スタッフ城戸さんのご子息 ゆづる君(10才)がご利用者様へ聞き書きをしてくれました。
城戸さん親子から記録を寄稿していただきましたのでご紹介します。
2021年3月29日
聞き手 ゆづる10才
※今日は春休みに入った10才の息子にWさんのインタビューをお願いしました。質問は息子自身が考えたものです。()内は息子のメモです。
① 戦争はどこでやりましたか?
(ビルマ、今のミャンマー)
② そのときおじいさんはどのような思いだったのか。
(ずっと逃げ回っている。目の前で仲間が3人死)
見つからないように穴をほって、隠れた。ビルマの土は日本の土よりもやわらかいので、スコップで掘りやすい。
③ 銃はうちましたか?
城戸メモ(小銃は打たなかったが、擲弾筒をもって十二発のタマを持っていた。ただ、ミャンマーは雨季で、雨でタマの半分は使えなかった。敵のいる集落に向かって打ち込んだが、届いていなかったようだ。ただ、敵の近くに落ちたので、敵も驚いて逃げたので、役に立った)
④ おじいさんは戦争に行くのがきまったときどう思いましたか?
(死ぬ覚悟)
⑤ けがはしましたか
(NO)
⑥ 何歳のころから行ったのか?
(23~24歳 青年)
⑦ 何で移動したのか
(船、タイ→ビルマ 防空壕 歩いた 部隊外→死)
⑧ 当時の服はのこっているか?
(NO)
⑨ おべんとうは何か
(ごはん)
城戸メモ(米を自分でもって、飯盒をもってご飯を炊いていた。ただ、ご飯を炊くときに、煙があがると敵に見つかってしまう。それで、竹を使うと、それほど煙がでないので、竹でご飯を炊いていた)
⑩ 戦争に対してどう思いましたか?
(死んでも闘う)
〈ゆづるの感想〉
和田さんの話を聞いて、知らなかったことが知れてよかったです。自分では思っていたことが、正反対だったりしておどろきました。ぼくもこれをもとにまとめて、未来へと伝えたいです
天皇陛下のために死んでも闘いつづけるという考えを和田さんから聞いて、いろんな人が同じように考えていたのかもしれないと思いました。
ちなみに僕だったら、その覚悟はできません。最後に、がんばってーっと言ってくれてうれしかったです。
ゆづるより。
※実際に戦争に参加した人から直接話を聞く機会はほとんどないので、ぜひ、Wさんのお話を息子に聞いてほしいと思い、お願いしました。息子は自分なりに質問を考えて、とてもいい経験をさせていただきました。
お話が終わったあと、息子は「自分だったら、目の前で仲間が亡くなったら、自分も死にそうなくらいショックだったと思う」と話していました。
私もこれまで何度かWさんのお話を聞かせていただきましたが、竹でご飯を炊く話や、小銃ではなくて、擲弾筒のこと、それから、「天皇陛下のために死ぬ覚悟でいた」こと、ビルマに行くとき生きて帰ってこれるとは思っていなかったことなど、改めてうかがうことができてよかったです。
子どもたちには、戦争体験者の方のお話を聞く機会が、こういった形でも得られたらとてもいいと感じました。
ゆづる君が事前に質問をしっかり考えてきてくれて、真剣にお話を聞いてくれましたのでご利用者のWさんも熱心に当時のことを語ってくれていました。
擲弾筒(グレネードランチャー)のお話などは私達もはじめてお聞きしました。
ありがとうございました!